エンタメ不感症の患部に巻く包帯

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トゥルー・ディテクティブ ファーストシーズン 〈感想・レビュー・評価〉

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トレーラー

 
点数:95点
 
 

あらすじ

 
 2012年元刑事であるラスティン(ラスト)・コールマーティン・ハートの二人はルイジアナ州警察に呼び出され聴取を受けていた。警察側は当時の資料が紛失したため、1995年に起こり、二人が解決したとされる猟奇殺人事件の話を聞かせて欲しいと依頼。警察側には過去の事件の話を聞く以外に別の思惑があることを見抜きながらも、刑事だった過去を振り返りながら感慨深げに事件の話を語る二人。しかし、徐々に二人が警察に対して語る証言と実際に起こった猟奇殺人事件の真相が乖離していき・・・・・・。
 
 
 

マシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンいう連星の周りをストーリーや設定や登場人物という名の天体がぐるぐると公転し形成された恒星系、もしくは銀河のような作品

 
 今作は初っ端のタイトルシーケンスから異様。カントリーソングに乗せ、人間にルイジアナ州の景色をテクスチャとして張り付けたようだったり、その反対に今度は物に人間をテクスチャとして張り付けたような奇怪な映像が次から次に映し出される。最初は意味は分からなくとも得体のしれない不思議な世界の洗礼を受けているかのような気分になるビジュアルに圧倒され「このドラマは普通じゃないぞ!」と身構えさせられます。
 
 そして、第一話の冒頭でマシュー・マコノヒーが登場した瞬間、もうこの作品の虜になりました。善人なのか悪人なのか、イカれているのかまともなのか、捉えどころがない、そこにいるのに存在がたゆたってハッキリと認識できない様な不穏さを背負った異物が画面を支配している・・・・・・もうこれだけでこの作品は傑作だろうと確信できました。
 
 あまりにもマシュー・マコノヒーの演技や存在感に嘘っぽさが無く真に迫り過ぎているのと、この作品自体が安っぽさを完全排除することに徹し、1カットたりとも現実に引き戻されるようなしょぼいアングル選択やカメラワークを挟むなどという隙を見せないため、ドキュメンタリックという名のアリバイ的なリアリティを出すことそのものが目的化したような似非(えせ)リアリティとは次元が異なります。演出という魔法を最大限駆使したら結果的に嘘臭さが微塵もない映像に仕上がっただけという、安易なリアリティの出し方とは距離を取った高級感のある作品に仕上がっておりうっとりさせられました。
 
 今作を見る直前にポール・グリーングラス監督の“ジェイソン・ボーン”を見ていたのが幸運でした。映像を現実の光景に近づけることが目的化しているドキュメンタリー肌の監督の志向するリアリティと、今作の安っぽさを排除していったら結果的に嘘臭くなくなっただけという仕上がりを見比べられ、ドキュメンタリックなリアリティを追求するという安易なアプローチによって逆に生じてしまう映像的ノイズとはほぼ無縁の一部の隙もない今作の化け物さ加減がよく分かりました。
 
 本物に似せただけの偽物を作ることに尽力するよりも、本物とは違う方向性の偽物を極めんとするほうが最終到達点が高くなるというお手本のような作品。
 
 

作品そのものが不眠症を患っている様な気怠さに包まれている

 
 マシュー・マコノヒー演じるラスト・コールという刑事はある過去の出来事により不眠と薬物中毒の後遺症に悩まされており、常に虚空を見つめ、心を過去に置き忘れてきたのに惰性だけで生き続けている精神の抜け殻めいた印象の人物です。そして、この作品自体もまるでマシュー・マコノヒーの演技テンションそのものを体現しているかのように気怠くダウナーな雰囲気に包まれています。ラストと同じで時間に取り残され過去を生き続けるかのような田舎の風景を丁寧に繋いだり、ラストの妥協を許さない物事に対する神経質さや厳格さを体現したかのような一切のだらしなさを許容しない作り手の絵作りへのこだわりぶりなど、それら全てがラスト・コールの有り様と重なり、ラストは作品そのものであり、作品はラストそのものであるという印象を問答無用で突きつけてきます。
 
 登場人物から受ける印象と、作品全体から受ける印象を神がかった演出のバランス感覚で一致させるという作り手の途方もない力量に戦慄すると共に、そのとんでもないアプローチの正否の責任を否応なく担わされるという重圧に屈しないマシュー・マコノヒーの才能にも惚れ惚れしました。
 
 普通ならクライムサスペンス的に猟奇殺人事件の進展や二人の証言から生じる矛盾そのものを話の推進力の中心にしそうなものですが、映画の“アウトロー”における主人公ジャック・リーチャーの行動動機そのものが最後まで謎として扱われるように、今作も事件そのものはオマケで、興味の中心となるのはなぜラスト・コールはこの猟奇殺人事件にこだわり、入れ込んでしまうのかというラスト・コールという謎めいた人物の行動動機のほうに軸足が置かれているのも非常に賢い判断だと思います。
 
 今作におけるマシュー・マコノヒーの存在感は猟奇殺人事件の真相など遥かに凌駕するほどミステリアスで魅力的なため、事件ではなく人物に対する興味を中心に据えるという大胆なアプローチも許容させる力があります。
 
 
 

不満あれこれ

 
 好みの問題でもありますが、自分はカメラの動きを意識させられる固定撮影ではなく移動撮影のある長回しが死ぬほど嫌いなので、4話の目先の緊張感を安易に盛り上げるためだけの長回しサスペンスシーンはいらなかったと思います。一応ラストが緊張状態に置かれているため撮り方も緊張感を煽るように同期させ長回しにするというやり方は理に適っていると言えなくもないですが、この重厚な作品にこのような子供騙しの手法など不要です。
 
 
 

まとめ

 
 これほどまでに実写作品に心底惚れこんだのはポール・トーマス・アンダーソン監督の“ゼア・ウィル・ビー・ブラッド”やリドリー・スコット監督の“悪の法則”以来で、間違いなく自分にとって生涯ベスト級作品の一本。
 
 存在すること自体が宇宙誕生と同程度の奇跡である超傑作。