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エンタメ不感症の患部に巻く包帯

好きなものについて語るブログ

ステイ

 

点数:55点
 

あらすじ

 精神科医サムヘンリーという新しい患者の担当になるも、ヘンリーが未来に起こる出来事を予言し、困惑させられる。その後も不可解な言動を取るヘンリーだったが、ついに自殺を予告しサムの前から姿を消してしまう。サムは自殺を阻止するためヘンリーの捜索を開始するのだが……。
 
 

かまってちゃんの自分にかまってくれる自分を描くかまってちゃん映画

 
 映画で度々見かける夢的な話で、劇中の登場人物がそれを夢と示唆するような例えを遠回しに喋ったり、固有名詞(フロイト不思議の国のアリスなど)を挙げたりする類のフォーマットの作品の多くに感じる疑問、
 
 
 そのアプローチって何が面白いんですか?
 
 
 という疑問がまんま当てはまる映画でした。
 中には“アイズワイドシャット”など、大好きな作品もありますが、大半の映画は眠気を堪えるのが必死で、これが実は夢(ないしは走馬燈)と分かったところで作品への印象が上向くワケでもなく、見なければ良かったと後悔が残るだけです。つくづく自分自身のことでうじうじ悩む内省的な話が苦手なのだと痛感しました。
 
 この手の映画にありがちな、最後にどんでん返し的な展開を用意することで、劇中の退屈さをまとめて面白さに昇華できるのではないかという安易な考えも嫌いです。松本人志監督の“R100”もそうでしたが、映画の中の退屈な部分が退屈であるのはこういう理由だと明かされたところで、本編の退屈さに変化など生じません。退屈なことに理由がつくということは退屈なことの原因に合点がいくだけで、面白くなることとは一切関係がないことです。
 
 劇中で起こることはほとんどが初見時ではデタラメで、ラストで真相が明かされるとある程度は合点がいきますが、ただ単に説明不足だった話がラストの説明でようやく理解できたというだけ。とても能動的に興味が持てるような内容ではなく、初見時は眠くて眠くて拷問のようでした。
 そもそも、自分の話を他者の視点を捏造してまで悲劇のように語るというアプローチがナルシスティックで不快です。
 
 映像的には凝りに凝ったジャンプカット的なけれん味あるシーンの繋げ方や、劇中傾き続けている“第三の男”的なカメラなど、これでもかと非現実感を映像の工夫で煽ろうと頑張っているのは伝わって来ますが、だからといって演出テクニックによって映画が面白くなっているかと言われると否です。
 
 

まとめ

 
 その人にとって都合良く悲劇性を強調するように編集された夢なんて見させられたところで面白いワケがないということを確認するだけでした。
 

 

 

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