エンタメ不感症の患部に巻く包帯

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名探偵コナン/業火の向日葵(ごうかのひまわり)

 

トレーラー


点数:55点

 

あらすじ 

 ゴッホ7枚ある花瓶に挿されたひまわりの絵のうち、太平洋戦争末期の1945年8月、日本の芦屋(あしや)市で空襲によって焼失したと思われていた幻の“芦屋(あしや)のひまわり”がフランスのアルルで発見される。その幻の1枚を鈴木財閥がオークションで落札し、世界中に散らばる花瓶に挿されたひまわりの絵を日本に集め、7枚のひまわりを一堂に会する大展覧会を行うと世界に向けて宣言。しかし、なぜか宝石専門のはずの怪盗キッドがそのひまわりを狙うと予告し……。
 
 

マクガフィン程度の存在感しかない芦屋のひまわり

 
 話の中心は幻の芦屋のひまわりの絵のはずなのに、終始ひまわりの存在は脇に置かれたまま、どうせ最後は誤解が解けて和解するであろうと予想が付く怪盗キッドの不可解な行動がメインのサスペンスとして展開されるため、非常に退屈。
 
 キッドではなくひまわりを話の中心に据え、焼失したはずの幻のひまわりの謎が明らかになるにつれて徐々にキッドの行動の真意が読めてくるなど、重要度の軸をキッドからひまわりに寄せることで、話の筋を分かりやすくするべきでした。これだと、キッドの話とひまわりの絵に隠されていた過去にそれほど強い結びつきがあるように見えず、ラストでひまわりの謎が明らかになってもカタルシスがありません。
 
 ミステリー的な伏線の回収の快感よりも、目先の怪盗キッド関連のサスペンス要素を優先した結果、「キッドがそんなことをするはずがない」という予定調和的な安心感でサスペンス要素は台無し、かつひまわりの話をきちんと掘り下げていないためひまわりの謎が明らかになっても謎解きの気持ちよさもないという、サスペンス要素もミステリー要素もどっちつかずの脚本になってしまっています。
 
 色々ある問題の中でも特に構成が問題で、冒頭でいきなりひまわりが業火に包まれている絵を見せてから本編を始めた方が「なぜ業火に包まれていたはずのひまわりの絵がオークションに出品されているんだ?」と興味を惹かれ、かつ何の話なのか焦点が絞られ分かりやすかったと思います。
 
 

薄味アクション

 
 メインのシナリオがこんな調子のため、それに引っ張られ、アクションも薄味。作画は頑張っているのに、本編のシナリオが薄いせいでアクションもサービスのためのアクションでしかなく、物語を盛り上げるための要素にはなっていません。
 そもそもコナンはアクションものではなくミステリーなのですから、これほどアクションをど派手にする必要性があるのかも疑問。どうしてもアクションをやりたいならシナリオを作り込み、ミステリー的な謎解きの快感をアシストする部分に作画リソースを集中するべきです。話は退屈なのにアクション部分だけど派手なため、本末転倒なバランスに見えます。
 
 この作品で最も絵的に印象づけなければならないのは、怪盗キッドハンググライダーアクションでも、コナンの鮮やかなキックでも、蘭の掌底でもなく、現実では不可能な本物の7枚のひまわりが一堂に会する絵のインパクトであり、いかにこれが奇跡的なことなのかをすんなり理解させるためにも、キッドではなくひまわり周りの掘り下げが必須でした。
 
 物語の始まりと終わりでひまわりの絵という美術品から受ける印象が180度変わってこそ、真のアートミステリーと呼べる品のある一作になったはずです。
 
 

まとめ

 
 テレビレベルのキャラデザや絵作りだったり、オーバーアクト気味の安っぽい演技の付け方だったり、とんでも展開だらけだしと、毎度お馴染みの突貫で作ったような作りこみの浅い隙だらけの完成度。
 
 アートを巡る歴史的なifモノというアプローチはどちらかというとルパン三世っぽいため、コラボした際にルパンが感染したのだろうか?